2008年02月13日
人の世を生きること
語句が絶対的に足りない私なので、表現が乏しいかもしれませんが
私が常々思うのは、「人」を考える時
自分があるかどうかだと思ってます。
「歴史」「修身」「宗教」
細かな事実はさておき、
地球において日本人であること
現世は魂の修行の場であること
人として生かされていること
我が身が宇宙からみた構成される一個体であること
どう謙虚さをもってとらえるかで変わると思います。
文明と経済を持ち得る豊かさで
こういったことを考え、啓蒙することができる幸せ。
反対に「生きる」ことのみを
受け入れることが全ての生きるということで
小さな些細なことに幸せと喜びを感じているかもしれない。
生きるという修行の輪廻を歩むことは
己を知り、学ぶことであるとおもいます。
人間界に生まれたこと
どの世界に生まれ変わっても
「死」を迎えるまでに
プラスとマイナスをどうゼロに近づけていくか
「死」を迎えてから次の生を受けるまで、
またさらにプラスとマイナスをどうゼロに近づけていくか
各ステージ、ステージで払わされる業と向き合わされます。
「人」として
与えられたステージでどれだけ己を全うできるか
自己をもって
全てのものに愛と感謝と尊敬をする。
それを学ぶ基礎が
教育という方法なのでしょうね。
教育を受けることで、考えることを
知識を教養を得ることができる。
そんな教育が受けられる土壌ができている日本。
いろいろ困難や苦境があっても
そんな豊かで平和な日本に生を受けたことを感謝したいです。
普段使わない脳みそを使ったようです。
疲れました
何が言いたいんだっていわないで
なんだか書きたかったんだぁ

私が常々思うのは、「人」を考える時
自分があるかどうかだと思ってます。
「歴史」「修身」「宗教」
細かな事実はさておき、
地球において日本人であること
現世は魂の修行の場であること
人として生かされていること
我が身が宇宙からみた構成される一個体であること
どう謙虚さをもってとらえるかで変わると思います。
文明と経済を持ち得る豊かさで
こういったことを考え、啓蒙することができる幸せ。
反対に「生きる」ことのみを
受け入れることが全ての生きるということで
小さな些細なことに幸せと喜びを感じているかもしれない。
生きるという修行の輪廻を歩むことは
己を知り、学ぶことであるとおもいます。
人間界に生まれたこと
どの世界に生まれ変わっても
「死」を迎えるまでに
プラスとマイナスをどうゼロに近づけていくか
「死」を迎えてから次の生を受けるまで、
またさらにプラスとマイナスをどうゼロに近づけていくか
各ステージ、ステージで払わされる業と向き合わされます。
「人」として
与えられたステージでどれだけ己を全うできるか
自己をもって
全てのものに愛と感謝と尊敬をする。
それを学ぶ基礎が
教育という方法なのでしょうね。
教育を受けることで、考えることを
知識を教養を得ることができる。
そんな教育が受けられる土壌ができている日本。
いろいろ困難や苦境があっても
そんな豊かで平和な日本に生を受けたことを感謝したいです。
普段使わない脳みそを使ったようです。
疲れました

何が言いたいんだっていわないで
なんだか書きたかったんだぁ

Posted by ゆきみだいふく at 23:57│Comments(3)
│Abey
この記事へのコメント
そうですね。好き嫌いは別にして、
つねに自分と向き合って生きてゆくことって、
とっても大切なことなのだけれど、
最近はどうもフレが過剰なのか、
外に振れすぎたり、内に畳み込まれたり・・・
この広い宇宙の中のちっぽけで、
気の遠くなるほど長い時間の中の刹那の人生だけれど、
ささやかなことに、驚いたり喜んだりして、
「自分らしい平凡」に、生きてゆけたらと思います。
つねに自分と向き合って生きてゆくことって、
とっても大切なことなのだけれど、
最近はどうもフレが過剰なのか、
外に振れすぎたり、内に畳み込まれたり・・・
この広い宇宙の中のちっぽけで、
気の遠くなるほど長い時間の中の刹那の人生だけれど、
ささやかなことに、驚いたり喜んだりして、
「自分らしい平凡」に、生きてゆけたらと思います。
Posted by BOSS at 2008年02月14日 00:14
BOSS~~!
こんな難しいテーマ
私には苦しいです!
目立たず楚々と生きていきます。
こんな難しいテーマ
私には苦しいです!
目立たず楚々と生きていきます。
Posted by ゆきみだいふく
at 2008年02月14日 00:20

せっかくの人生ですから。
自分が生きた証は残したいですね。
自分が生きた証は残したいですね。
Posted by リョッチュー at 2008年02月14日 23:29